私のdb1(車体番号DB1★00341)について、購入の顛末から始めて、概略を紹介させていただきます。 |
購入の顛末
あれは一体いつのことだったのでしょう?大学生だった私はアルバイトに明け暮れる毎日。単車の免許(中免)を取ったのは良いが、自分の単車を買うための金もなく、人から借りて乗ったりしていました。【1】 学校を二の次にしてアルバイトに明け暮れた成果は、400CCなどを経た1100ccへのステップアップ【2】以外に、私という一学生を、RIDERS CLUBというオピニオンリーダーかつ高価な雑誌【3】を定期購読する階級へと押し上げたのでした。この雑誌には時々、MOTO MARTIN・EGLIなどのスペシャルビルダーの製品が紹介されており、紙面の上だけであっても、その試乗記などには胸を躍らせたものです。特にbimotaは気になりました。 1986年1月号のR/C誌はdb1の印象的なグラフィックを表紙としたものでした【4】。貪るようにその記事を読んだ私は、「いつかはdb1を買う!」と根拠もなく決意したのです。.....数年後にこの事は忘れてしまったのですが。 時は流れて1995年、私はbimota supermonoという単車を購入してしまいます【5】。これがまぁ、手の掛かる単車でして、丁度その頃始めたパソ通とインターネットによって知り合った方々にはどれほどお世話になったことか。下町bimota連合会【6】に入ったのもその流れからでした。気付けばbimotaは身近なメーカーと成り下がっていました。 さて、忘れていた想いに火が着いたのは1998年のこと。出入りしている某ショップにdb1の中古が入ってきたのです【7】。買おうか買うまいか、迷いに迷いました。その頃、db1オーナーの方と雨中走行をご一緒し、エンジンが片肺になるのを目の当たりにした【8】私には、躊躇にも輪がかかります。そうこうしているうちに、件のdb1は売れていってしまいました。 いざブツが無くなると「惜しいことをした」と思ってしまうのが人情ってものです。「今度、出物があったら絶対買うっ」とまたもや根拠のない決意をしたのでした。その数ヶ月後、ブツは出てきてしまいます。 10月も終わりに近づいたある日、名古屋市内のとあるお店で知り合いのKさんと会います。Kさんのdb1は以前にも見たことがあった【9】のですが、ピッカピカ。「えぇなぁ」と見惚れる私に「買う?」の一言。気が変わらないうちに買うしかありません。その時の私の頭の中は、預金通帳の残高がグルグル回りだしていたはずなのですが、空回りに過ぎなかったようです。壊れた神経に付ける薬はありません。 1999年に入って試乗をさせて貰い、1月末に買っちゃいました。「いつまでも あると思うな db1」...この台詞がリフレインしていた数ヶ月間でした。そして(supermonoに続き)またもや苦難と悦楽の日々...楽しそうでしょ? |
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【1】先輩のCBXを山中越え(京都市内から大津市内を結ぶ細い道)でこかし、同級生のVTを宝ヶ池通り(京都市北区)の直線で!こかし....修理代で中古が買えたことに気付く程度には賢かった私は1983年末、やっと自分の単車を手に入れます。それはAR80という、とっても小さなオートバイ。 |
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【2】AR80→GPz400→KR250→GPz1100という複雑なステップアップでございました。憧れだった大排気量を持て余しては、小さいのに戻すという、ポリシーの一貫したステップアップ(だったと信じたい)です。 | |
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【3】当時の価格は700円(税無し...の時代だったのですねぇ)。「単車を買う金がないよぉ」と言いながらR/Cを買っていた僕を友達は「そんな高い雑誌買って、あほかっ!」と誉めてくれました。あのころのR/Cは綺麗な作りで一線を画していたものでした(遠い目)。 | |
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【4】この表紙、「なんじゃこりゃ?」というのが第一印象でした。カウリングのペイントだとは、中の記事を見るまでは、ゆめゆめ思いませんでした。 | |
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【5】「入門用のbimotaとして最適」という某雑誌のコメントを信用して購入し、「入門」とはその価格だけなのだ、と思い知り、以後、雑誌記事をあまり信用しなくなりました(おいおい)。でも、まぁ、楽しい単車です(どっちなんだ?)。 | |
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【6】北森さん(当時は大阪在住)主宰のHPから発生した集団。壊れた走り方をする人が何人かいます。乗る単車が壊れてしまう人が何人かいます(僕チン)。 | |
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【7】150万円という値が付いたこのdb1は、ほぼノーマルのままの素dbでした。すぐ売れれば諦めていたのですが、なかなか売れずに残っていたので、迷いに拍車がかかりました。店主が言うには「雑誌広告出せばすぐ売れるんだろうけどなぁ」ってことでした。「ほんまかぁ?」と思っていたら、事実そうなりました。静岡県の人にドナドナしていったらしい。 | |
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【8】下町bimota連合会のお泊まり行事の帰りのことでした。前側シリンダーのプラグキャップに水がかかると宜しくないそうで、ガムテープでカウル前方の開口部を塞ぐと調子が戻ったようでした。それにしても雨に神経を遣わなくてはいけないとは...台風であろうが予定通りにツーリングする派の僕には、ちょっと辛いなと思ったのでした。 | |
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【9】これまた下町bimota連合会の中部のメンバーで集まった時のことです。 |
db1★00341の外観
幸か不幸か、私のdb1は購入以来、少しずつ外観が変化しています | |
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db1★00341 2001年型 【現在形】 | |
足周りの変更ついでにホイールを半艶黒にペイントしました | |
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db1★00341 2000年型 | |
Fフォークの仕様変更のついでにアウターチューブを金色にペイントしました | |
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db1★00341 1999年後期型 (画像はありません) | |
エンジンOHついでにフレームを白にペイントしました | |
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db1★00341 1999年前期型 以下に紹介するdb1は購入した当時に撮影したものです | |
今見ても独創性に満ちたカウルデザインです。それによって犠牲になったものも多いような気がします。★星人は★がつかえてしまうとか(笑)。 本来はマフラー基部にもカバーがありますが、オーナーの多くは通気性の確保のため外す場合が多かったと聞きます。エアクリーナーを外してファンネル仕様にしてしまうのも同様の理由。熱気の抜ける場所がありません。 外装はリペイントされています。緑の部分はノーマルではもう少し明るい色です。が、そもそも退色しやすいパール系の塗装ですので、今の色調がノーマル状態に近いかも知れません。 | |
タンク部横の開口部は後方シリンダーのスパークプラグへアクセスするための加工です。この穴がないと、プラグ点検のためにすべてのカウルを脱着する羽目になります。 前後ホイールはテクマグの17インチ(前3.50/後4.50)に換装されています。16インチ径のタイヤがMichelinのA59X/M59X以外に選べなくなってしまった現在、なんとも致し方ございません。 マフラーはGirela Satorno I.O.M.のサイレンサーが加工装着されていました。この音が100m四方の寝た子を叩き起こすような大きさで、田舎道のトンネルでは雷が落ちてきたかと思いました。 | |
凄まじいハンドルの垂れ角です!絞り込みもかなりのもの。暴走族諸君とは逆の意味での「鬼ハン」です。タンクを抱え込むように着座して腕を伸ばしたところにハンドルはあります。人車一体にされてしまいます。 ノーマルミラーは重くてFカウルにクラックを入れることが多々あるそうです。ベビーターボは後方視界も良好で純正より軽量です。 |
後方から気付かれるノーマルからの変更点はマフラー・ウインカー・ナンバープレートステー・ミラーくらいでしょうか。 購入時に装着されていたタイヤは前後ともPIRELLIのドラゴンコルサでした。ノーマルの16inchホイールの時、OEM装着されたのはPIRELLI/MICHELINです。 |